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2012.10.27

桃さんのしあわせ

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何と言うか不思議な感慨を醸し出す様な映画だった。
映画自体の内容と供に『香港映画』と云う物の黄昏を見送っている様な・・・
長らく香港映画を観続けている人間には何とも言えない気持にさせる、
色々と考えさせられる実に深い内容に成っていた。
まあしかし何はともあれ、第31回香港金像奨に於いて圧巻とも云うべき、
作品・監督・脚本・主演男優・主演女優の主要五部門を独占し、
本年度のヴェネチアでは主演女優賞をもぎ取った実績は伊達ではない、
実に素晴らしい香港映画の新たな金字塔「桃さんのしあわせ」である。

話は簡単に云えば「老いをどう迎え、そしてどう送るか」と云う所か。
万人にとって不変的なテーマであり必ず直面しなければ行けない話だ。
ただ他の作品と少し違うのは介護される対象が肉親や親族でなく、
肉親同然に過ごして来たとは云え他人である「お手伝いさん」だと言う事だ。
香港で「お手伝いさん」と言えばフィリピン出身の阿媽さん達がお馴染みだが、
この作品の主人公の家庭は多分戦前からの裕福な大家族と云う家柄で、
中華民国、いや清代の頃からの富裕層の系譜を継ぐ家庭なのかな?と想像する。
歳は一緒ながらお手伝いの桃さんに比べると、全く生活臭が感じられない
主人公の実の母の「女主人」振りを見ていてもそんな風に感じられた。
確か陳果監督の「リトル・チュン」で、主人公が最終的に胸に飛び込む先が、
実の母親では無くフィリピン人の阿媽さんだったと言うシーンが有ったが、
家族としてのお手伝いさんとの関係と云うのは結構香港的な題材なんだろう。

Tao02

家族は皆国外に移住している中、映画のプロデューサーであるロジャーは、
古くから家に勤めるお手伝いの桃さんと供に香港で忙しく暮らしていた。
高齢の桃さんは或る日脳卒中に倒れ、身体の自由が効かなくなってしまう。
お手伝いとしての責務が果せなくなった以上、
自分は不要だと判断した桃さんは老人ホームへの入所を自ら決める。
ロジャーは介護付きの老人ホーム見付け、桃さんは一人でそこに入所する事に。
ここで桃さんの視点から描かれる香港の老人ホーム現状が凄まじい。
勿論、日本の老人ホームの現状も知らない人間が他国と比較するのはアレだが、
非常に劣悪と云うか桃さんならずとも今後の事を考えて暗澹とした気分に成る。
その昔香港で、昔ながらの戯院の朝の廉価早場を無数の老人達と観劇し、
老人しか居ない公園のベンチで煙草を吹かした事などを思い出すに連れ、
あの老人達は元気だろうか?とふと思ったりもした。
忙しい仕事の合間を縫って「義理の息子」として訪ねてくるロジャーだけが、
慣れない新生活の中で唯一の救いと成っていた桃さんだったが、
ホームの生活に慣れて来るに連れ、入居者との交流も生まれる様になる。
リハビリにも精を出し外出する事も出来る様に成った桃さんは、
ロジャーの為に家政婦を面談したりロジャーの家族と再会したしたりするが、
香港が一番賑やかな旧正月の晩は残った数少ない入居者と寂しく過ごす。
やがて馴染んだ入居者の仲間が様々な理由でホームから居なくなる中、
再び患った桃さんは難しい手術の後に更に老いが進む様になり、
身体が麻痺し意思の疎通さえままならなく成った桃さんを、
懸命に介護するロジャーだったが、やがて誰もが迎えるあの時が来る・・・

さて主演男優賞の劉德華大先生である。
予てから「劉德華は劉德華を演じていない時が一番良い」主義を掲げ、
「役名・劉德華」的な大作映画に苦言を呈してきた自分だったが、
前回観た「ディー判事」で流石にもう劉德華を貫いてくれればそれで良いか的な、
脱帽に近い様な感想を述べた訳だが、舌の根も乾かぬ内に前言を翻す、
やはり「劉德華は劉德華を演じていない時が一番良い」今作はこれに尽きる。
まあ本作の劉德華の深みの有る静謐な演技の素晴らしさは圧倒的だ。
不幸に対してナルシスティックに泣いたり身悶えする様なシーンは一切無い。
ただ不図した拍子に見せる放心したかの如き何気ない横顔から伺える、
様々な感情を内包したその表情には泣かされる。
この歳相応の深みを帯びた演技は正しく劉德華ではなく主人公その物だ。
こう云う劉德華が観たかったんだよな!と快哉を上げる素晴らしさである。
そして素晴らしいと云うより凄いとしか言えないのが、
主演女優賞当然な、桃さん役の葉德嫻の圧倒的な存在感だろう。
往年の大スターの余りに見事で華麗な復活劇に現地も騒然な訳だ。
ダーレン・アロノフスキーがヴェネチアで実際の葉德嫻を観て、
「こんなに綺麗な人があの老人を演じていたとは」と語ったそうだが、
もう圧巻の老け演技で、どんどん老いが進行し行く様が余りにも凄い。
そして孤独に耐え小さな身体で佇む、その佇まいの寄る辺無さ加減に泣ける。
桃さん自身もロジャー同様に身悶えする様に泣くシーンなど皆無だが、
その古めかしい凛とした姿に余計に拭えない孤独と諦念が滲むのだ。

Tao04

脇を固める中で印象的だったのがホームの主任を演じたチン・ハイルー、
最初は冷ややかな印象が話が進むに連れ柔らかく成って来る感じが好印象で、
自らの家族を語ろうとしないエピソードなど深みの有る造型に唸らされる。
そしてホームの入居者でも癖の有る存在が光るキンさん役の奏沛が素晴らしい。
奏沛、懐かしいなぁ・・・この人も香港映画の豊かな名脇役の一人で、
役柄の憎めなさ加減が実にこの人らしい味の有る演技でもって見せてくれる。
そして旧正月映画の如き凄まじく豪華なチョイ役の皆さん、
多分昔は悪役のアクション俳優として活躍したのであろう、
現在は老人ホーム等の投資に勤しむロジャー友人役の黄秋生。
大陸で撮ってる映画とは「ディー判事」か?と云う感じで笑わせる、
映画監督役の徐克、そしてアクション監督役の洪金寶の色んな意味での名演技。
そして映画の完成披露会場にはあの懐かしいジョン・シャムのハゲ頭に、
ゴールデン・ハーベストの御大レイモンド・チョウの姿まで御目見えである。

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最初にこの映画を『香港映画』の黄昏を見送っている・・・と書いたが、
その部分を濃厚に感じるのがこれら香港映画の黄金期を築いた面々が、
実物に近い姿で会しカーテンコールの如く登場する様々な場面によってだ。
香港映画と言えば「ああ、成龍でしょ?」と言われていた時代から、
(っても未だに言われ続ける事実を考えると成龍の偉大さを再認識するな)
大陸の第五世代と足並みを合わせる様に現れた香港ニューウェーブの存在で、
カンフーやキョンシーだけではない、香港の市井の人々を描いた作品を知り、
娯楽と芸術性が相見える香港映画の豊かな世界を知る様になり、
何れは大陸に返還される特殊な時間を過ごす街の重層性にも魅かれる様に成った。
香港映画の「娯楽」部分は大陸制作の大作に今後も受け継がれて行くだろうが、
香港の市井の人々を描いた「芸術的」な作品の今後は、
否が応にも大陸と同化して行く香港と云う街の現状を考えるだに明るくは無い。

許鞍華は香港ニューウェーブの担い手としてその初期から活躍する監督で、
娯楽作品よりは芸術的な作品を多く手掛けてきた作家性の強い人であり、
劉德華のデビュー作であるボートピープルを描いた「望郷」も手掛けている。
本作でも愁嘆場的重要な場面をあえて省略して観客の想像力に委ね、
何気ない風景とエピソードの積み重ねで画面に空間と重みを与える描写が光る。
香港人としての意識が貫かれた芸術性の高い作品を創って来た許鞍華が、
黄金時代を供に歩んで来た映画界の仲間達を背景の様に配しながら、
人生の黄昏を迎えた桃さんに香港映画への思いを重ねると云うのは、
そう無理な解釈では無いだろうと思う。
勿論、作品として無上に優れているのは言うまでも無い事だし、
その様な映画史的な背景を知ろうが知るまいが充分愉しめる作品だが、
そう云った背景がこの映画を重層的に感傷的な気分にさせる要素に成っている。
久し振りに期待を裏切らない重厚な傑作が観れて嬉しい限りだ。

Tao05


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2012.10.20

「アステカ」の紙ジャケ

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「ブラスロック」懐かしい響きである。
バンドのメンバーにブラスセクションが居るバンド、とでも言おうか。
当初「シカゴ・トランジット・オーソリティ」と名乗っていた「シカゴ」や、
「ブラッド・スウェット&ティアーズ」「チェイス」等が良く知られる所だろう。
今回「ブラスロック名作選」と題してブラスロックの名盤が紙ジャケ化された。
第1弾に名を連ねるのは誰もが納得するであろうシカゴを除く上記の2組だが、
この辺はまあロックの歴史に於ける基本アイテムと云う感じで、
多分紙ジャケ化も始めての事ではないとは思う。
驚かされたのがそれらと同時にリリースされる「アステカ」の二作品だ。

「ラテンロック」こちらも実に懐かしい響きである。
ラテンの導入された音楽は現在はどの様に呼ばれるのか知らないが、
米国で最大のマイノリティでもあるチカーノ達の影響力は計り知れないし、
ポピュラー音楽に於いて今更「ラテン」と名乗らずともその影響力は強いだろう。
彼らはその初期の段階でシーンに強いインパクトを与えたバンドの一つだ。
ラテンロックと云う言葉と音楽を世界中に広めたのは、
言うまでも無くカルロス・サンタナの初期の三枚の衝撃に尽きる訳だが、
アステカはそのサンタナの初期三作に於いて音楽的に貢献していた、
コークとピートのエスコヴェード兄弟を中心に編成された大所帯バンドだ。
17~8人編成と云うからバンドと云うよりオルケスタと云う規模だろう。
バンドにはサンタナ・バンドで名を上げた若き日のニール・ショーンや、
リターン・トゥ・フォーエバーで活躍したレニー・ホワイト、
ハンコックの所から独立したヘッドハンターズのポール・ジャクソン等、
ジャズ、フュージョン、ロック等のつわもの達が名を連ねている。
ちなみに八十年代を過ごして来た人間的にエスコヴェード兄弟と言えば、
プリンスのプロデュースでデビューした凄腕女声パーカッショニストである、
シーラE(Eは勿論エスコヴェード)の父親がピートだったりする。

グループ名を冠した一枚目の「アステカ」は正しく問答無用の名盤。
コークのエピグラムが記されたA式のゲートフォール・ジャケに成っていて、
アステカ文明が残した「大陽の暦石」をモチーフにしたバンドのアイコンは、
良く見ると外周をブラスセクションと弦楽器を持った人物が描かれ、
その内周を鍵盤が、そして更にパーカッションを叩く手に歌手が描かれていて、
ブルース・スタインバーグの洒落たセンスが紙ジャケに一層映えている。
作品は「太陽の石」と云うテーマ曲を冒頭と最後に配した構成に成っており、
それが一枚のアルバムとしてのトータリティを際立たせて居る訳だが、
その壮大なイントロからスピーディなブレイクを繰り返して畳み込んで来て、
Voの入ってくる一瞬の色気もたまらない冒頭2曲の展開でもうやられる。
ニール・ショーンの凄まじいソロでスパークするもリズムの洪水に溺れる、
最高にパーカッシブながらポップなダンサブルさがたまらない3曲目、
「俺からファンクは奪えないぜ」の言葉通りねちっこくうねるビートと、
大所帯ならではのファンキーで重厚なアンサンブルが最高な5曲目。
スピーディーでファンキーなリズムの上をブラスが歌いまくる6曲目から、
続く様なリズムが交互にテンポチェンジして行くアンサンブルが見事な7曲目、
メロウグルーヴな9曲目から余りにも凄まじいリズムの饗宴が聴ける、
バンド名を冠したテーマ曲の如き10曲目まで凄まじいテンションで駆け抜ける。
そして前述の通り神秘的なインスト曲でクールダウンする構成が素晴らしい。
ブラスロックもラテンロックもファンクもソウルも呑み込んだサウンドは絶品で、
サンタナ・バンドよりも更に濃厚な世界に気持良い胸焼け必至の一枚だ。

二枚目の「月のピラミッド」は今回が日本初のCD化と成った作品で、
前作の様々なジャンルを呑み込んだカオティックな世界に比べると、
よりトラディショナルなラテンサウンドに回帰した様な内容に成っていて、
楽曲のテンションと面白さと言う事では前作よりやや劣る部分は否めない。
セールス的にも厳しかった様でそれがCD化の遅れていた原因の一つだろうか。
とは云えブラスロック/ラテンロック的な側面では無く、
純粋にラテンソウル的な感覚で聞けば実に豊潤で素晴らしい作品だと思う。
コーネリアスが後に引用したらしいグルーヴ感が気持良い冒頭曲、
緩急を織り交ぜた構成とジャジーなフレーヴァーが爽快な3曲目、
何気にラティーナ・プログレとの共通点も感じられる構築的な5曲目、
モンゴ・サンタマリア作のラテンナンバーと言った伝統曲を挟みつつ、
様々な管が腰を揺らしてくれる7曲目等は完全なサルサ・ナンバーである。
前作に通じるぶっ太いファンクを聴かせてくれる8曲目を経て、
タイトル通りのミステリアスでムーディーな「ナスカの夜」で〆である。
前作同様のバンドのアイコンを中央に配した無難なシングル・ジャケで、
これでアイコン部分がエンボス加工とかされていたら最高だったんだが・・・

さて正直「BS&T」や「チェイス」等の名盤はカタログとして生き残るだろうが、
アステカに関してはこの機会を逃すと今後中々入手は難しそうである。
サンタナの弟のホルヘが在籍していた「マロ」の作品も再発されたが、
中々入手し難くなって来ている昨今、興味のある方はこの機会に是非!

Azteca02


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2012.10.13

最近読んだ本など

Book07

「99%対1% アメリカ格差ウォーズ/町山智浩」

雑誌「クーリエ・ジャポン」で連載されていた記事をまとめた、
アメリカのしょうもない現在が分かる町山智浩の最新レポート。
オバマ大統領の誕生から彼が打ち出した医療保険改革、
その政策に反対する勢力「ティーパーティー」の怪しげな実態、
保守派勢力によるメディアを使った汚過ぎる中傷報道の数々、
金融崩壊の戦犯を擁護する政府へNOを突き付ける「ウォール街占拠運動」、
そして現在に至るロムニーとオバマによる大統領選の行くえまで、
1%の超富裕層の利権を守る為に99%のその他が犠牲に成っている、
アメリカの現状をその根本的な部分から解り易く説いたレポートである。
掲載誌のカラーからか著者特有のふざけた表現はやや控えめながら、
FOXテレビの偏向報道を笑いの方面から検証・批判する、
コメディアンの本質をわきまえた信用出来る男ジョン・スチュアートとか、
「極端に政治的に偏った邪悪な小金治」と云う感じのグレン・ベック、
迷惑千万な米国の野呂圭介・殆どビデオ・テロリストなジェームズ・オキーフ、
ティーパーティー運動の精神的な支柱とも言える作家の故アイン・ランド等々、
表面的な政治や社会の動向ならニュースや報道でも追う事は出来るが、
その隙間に蠢く社会に影響を与える特異な人間の存在は中々知る事は出来ない、
本書ではそう云う特異な存在を著者の独自の視点で知る事が出来る。
それにしても余りにも特殊な米国社会の異常さには唖然とさせられるが、
日本とてそれを笑って済ませられない奇特な政治・社会の現状が有る訳で、
SLIPKNOTではないが「People = Shit」と叫びたくも成りますわな。

Book12

「珈琲店タレーランの事件簿/岡崎琢磨」

「このミステリーがすごい」大賞の隠し玉作品としてひっそり発表されながら、
口コミ等で盛り上がり、某作品の様な売れ方をしているのがこの一冊。
珈琲好きの主人公が辿り着いた絶品の珈琲を出す喫茶店「タレーラン」、
その絶品の珈琲を淹れる、まだ若き美貌のバリスタの特技は珈琲だけでは無く、
何気ない会話から事の真相を解き明かす驚異的な推理力を持っていたのだ。
と云う、昨今お馴染みの日常系ミステリーに分類される作品である。
巻末に載っている選考委員の解説に「キャラクターに魅力は有るのだが、
ミステリー的な部分が弱い」と大賞から外れた理由が書かれているが、
正直、個人的にこの作品のキャラクターに魅力を感じる事は無かった。
余りにもこの手の作品に於ける類型的な造型の主人公と探偵像だと思うし、
(それ故に表紙のイラストに象徴される様に「オイシい」キャラだとは思うが)
基本的に出て来る人間のパターン化された薄い人物造型は如何な物かと思う。
そして京都と云う舞台設定も地理的な物以外には余り意味が無かった気がする。
本作は幾つかの日常的な謎を巡る短編を積み重ねて行きながら
探偵役のバリスタにまつわる謎を一本の柱として描いて行くのだが、
この短編的な日常の謎の部分も正直余り魅力的に感じられないのが残念だ。
等とネガティブな事を書き連ねているが、面白く無かったのかと言えば否だ。
最終章にあたる部分の所謂「叙述的」トリックが中々に秀逸に出来ていて、
ついつい該当部分を読み返して確認してしまう巧みな構成に成っている。
多分この辺の所が選考会で指摘されていた箇所の改善部分だと思うのだが、
実に見事に改良されていて読後感の爽やかさに繋がって行く様に感じた。
色々と難は有るが一冊のミステリーとして結構愉しませて貰った作品だ。

Book11

「へんな仏像/本田不二雄」

ポップと云うかキッチュ極まりないインパクトの有る表紙と云い、
「ムー」でお馴染みの学研から出ている所と言い怪しさ全開だが、
読んでみると非常にまともな、と云うか真摯に向き合った内容の一冊だ。
全国に点在する造形的に異形な仏像の数々を取材した本なのだが、
その精力的な取材力も凄いが、簡素にして詳細な解説にも感心させられる。
前文に作者も書いているが、仏像には確固としたテキストと手本が有って、
誰が造型しようと阿弥陀は阿弥陀としての姿を具現化しなければいけない訳だが、
どう云う理由かそれを逸脱した迸る様な勢いがそこには存在しているのだ。
何故そう云う姿に成ったのか?その背景を探って行く解説も中々に興味深く、
その未分化なまでのプリミティヴな熱さの数々に圧倒されてしまう一冊である。
過剰なトランスフォームを遂げた、良く知る筈の仏像の姿にも驚かされるが、
個人的に面白かったのが民間信仰の神々を扱った「あらわれた異形の神々」と、
所謂「流行神」を造形化した「鬼女・聖女・礼賛」の章に出て来る神々だ。
九尾の狐の上に現れた「九尾稲荷」、頭に霊狐を載せた「愛敬稲荷」、
4メートルの偉容を誇る藁で出来た「鹿島さま」の造型には圧倒される。
また「姥尊」「鬼形鬼子母神」「奪衣婆」の確実に恐怖に慄く造型、
「於竹大日」「於岩稲荷」の流行神としての有様にも感慨深い物がある。
そしてラストを飾る性神たちのプリミティブで大らかな佇まいは見事だ。
単なる「ヘンな物見たさ」の好奇心だけに終らせない中々に深みのある一冊だ。

Book10
                画像は文庫では無く元の新潮版

「怖いこわい京都/入江敦彦」

最後の一冊は新刊ではないのだが有る理由で再度購入した本である。
一時期「京都人」本でベストセラーに成った入江敦彦の著作であるが、
それが著作の中のキャラなのか実際に本人のキャラなのかは知らないが、
「京都人」本の余りにもスノッブな内容に辟易で再読する気も起きないのだが、
この本だけは別で京都に行く時などは度々再読していた本だ。
元々持っていた新潮社版には八十八の話が収められていたのだが、
ふと手に取った文庫本では更に話が加筆されて九十九本に成っている事を知り、
珍しく文庫版を再購入したと云う次第である。
更に驚いたのが井上雅彦が担当している解説によって今更認識したのだが、
「異形コレクション」にて入江が作家デビューしていたと云う事実だった。
創刊から何年も読み続けて、何時頃読むのを止めたのか定かではないのだが、
確かに該当巻の「京都宵」のその話は読んだ様な記憶が残っている。
今に成って再読したい思いに駆られるが発掘してくる事を考えると一苦労である。
本書の面白さは京都の怪奇スポットガイドの様な体裁を取っていながら、
単純に噂話や伝承をまとめた様な良く有る内容の本では無く、
怪奇スポットではない場所等にも現れる皮膚感覚的な怖さを掬う感覚だろう。
例えば現在は整備されてしまったらしい「墓池」の異様極まりない佇まい、
由緒が有る筈なのに胡乱な空気が渦巻く厭な荒れ方をした「七野神社」等、
かつて京都に住まうの散歩者であった著者ならではのスポットだし、
古都ならではの舞台が妖しげな、夢のあわいの如き一席の「幻談」とも言える、
一条戻橋で出合った辻占に恐怖する幻想的な雰囲気も濃厚な「橋占」、
恰も邪教の秘儀の現場に遭遇したが如きスリルが濃厚な「常世様の蔵」、
そして深夜の西院駅で遭遇した「眠り男」の不条理さが光る「西院の眠り男」、
等々、挙げて行けばキリが無い闇の気配濃厚な京都の怪奇譚が満載で、
文庫に書き下ろされた作品共々再読しても新たな感慨が湧いてくる一冊だった。
しかしこれとか読んでると、もう迂闊にお守りとか御札とか買う気に成らんね。

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2012.10.06

エグベルト・ジスモンチのプログレッシヴな世界

Gismonti04

エグベルト・ジスモンチに付いて知っている事は少ない。
以前ECMの作品等でその名前を見掛けた事が有ったので、
まあジャズ/現代音楽のミュージシャンなんだろうと云う程度の認識だ。
知ってる振りをしてライナー等に書いてある経歴を書く事も可能だが、
興味をもたれた方はそれぞれにウィキペディアなんぞを検索してほしい。
同時に彼の出身地であるブラジル音楽に関しても左程詳しくは無い。
勿論、点としてブラジル出身のミュージシャンやバンドは聴いて来ている。
ジョビン、ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ、ガル・コスタ、トン・ゼー、
時代飛んでカルリーニョス・ブラウン、マリーザ・モンチ、
プログレでは有名なサグラド・コラサン・ダ・テッラ、バカマルテ、
そしてメタル方面ではセパルトゥラ、ソウルフライ、アングラ、等々。
しかし面としてブラジル音楽の歴史の中で何かを語る様な知識は無いし、
昔からマニアの方が多いこの方面でしたり顔で語る勇気など無い。
では何故そんな人間がジスモンチに付いて語るのかと言えば、
単純に聴いて面白かったからとしか言えない。
数枚の作品に於けるプログレ/ジャズロック方面へアプローチした、
今回のアルバムの再発に食指をそそられたと云う様な部分も有る。

Gismonti02

最初に手に取ったのはサーカスをモチーフにした作品「シルセンシ」。
ブックレットを見るだに凝った造りの変形ジャケだった事が解るだけに、
これは是非とも日本が誇る紙ジャケで再現して欲しかった作品ではある。
このアルバムと言えばとにもかくにも一曲目の「カラテ」で決まりである。
個人的にこれ聴いて思い出したのがイタリアはアレアの作品の、
1st「自由への叫び」と「1978」の頭の1曲目でぶっ飛ばされた思い出だ。
とにかく凄まじいテクニックと疾走感にエスニカルな雰囲気と、
この一曲だけでプログレ好きにアプローチすると云う意味が理解できた。
以降インド人ヴァイオリン奏者を迎えた強烈にラーガな曲や、
彼のメロディ・センスの非凡さが伺えるリリカルでメロウな曲等が続くが、
土着のメロディとフレーズを使った前半から一気に加速して行く5曲目、
そして熱狂的なサンバ・リズムに乗って、熱狂してはとても出来ないであろう、
圧倒的にテクニカルな演奏が炸裂する6曲目で辺りで再び頂点へ。
子供の口ずさむメロディが可愛いと云うより彼岸の淵の如き幻想的な7曲目、
オケも入った本人のVo入りのリッチでリリカルな曲でサーカスの幕は閉じる。
ジャケも含めてアルバムとしてのトータリティは素晴らしいレベルで、
各曲のレベルも圧倒的に高く入門編としては最適なんじゃないだろうか?

Gismonti01

そしてお次は日本初CD化と云う「コラソンエス・フトゥリスタス」。
スペーシーなシンセの下でテクニカルなフレーズを刻んで行くバッキングと、
ブラジリアン風味が効いた独特の味わいが光るフュージョン曲で幕を開ける。
まあフュージョンと言えばそもそもラテンの導入から始まってる訳で、
全体にReturn To ForeverとかWeather Report辺りとの共通点を感じるのも、
当然と言えば当然とも言えるスリリングな導入だ。
メドレー的に様々な楽器を伴った楽想の曲や小曲を幾つか挟み、
5曲目の小曲を導入に始まった幻想的なムードをたたえた楽曲が、
ジャジーなピアノのパッセージから一気にテクニカルな展開へ、
そしてKeyのスペーシーな音が交差するカオス的な終末を迎える6曲目が凄い。
関係無いが旧東独のStern Meissenの4枚目辺りの雰囲気を何気に思い出した。
クラシカルだったりラグタイム風だったりとピアノ表現が凄い7曲目は、
後にバンドが加わりどんどんと躍動感が増して行く。
ラストを飾る8曲目は複雑な展開に楽器のレイヤーが物凄い曲で、
ポルトガル語の唄が強烈にブラジリアン的な風味を醸し出しているが、
中間部のピアノを中心とした演奏が凄まじくテクニカルで、
そこにシンセやストリングスが加わり、天空へ飛昇して行くかの如き、
テクニカルなインタープレイが一瞬で吸い込まれる様に消える展開が凄い。
確かにこれは演奏のアンサンブル的には頂点的な作品だと言えるだろう。

Gismonti03

と云う訳で今回日本で再発されたジスモンチの作品に驚かされて、
彼の事を探って行く内にプログレ的に頂点と云う作品が他に有る事を知った。
それがかつてプログレの殿堂マーキーさんから国内盤も発売されていたと云う、
「Academia De Dancas」、邦題は「未来のシェヘラザード」と云う作品だ。
壮大にしてエキゾチックな(或る種シンフォな)イントロに導かれて始まり、
アラビックなメロディにロック的なキメの多いスリリングな2曲目へと続き、
ストリングスと女声スキャットがたゆたう様に幻想的な雰囲気ながら、
凄まじいギターのフレーズが聞ける3曲目を経て、複雑なフレーズの応酬が、
何処かイタリアン・プログレ(Bancoとか)っぽくニヤリとする4曲目、
そして2曲目のフレーズを使ったコーダ的な5曲目で組曲的なパートが終る。
多分このメドレーがシェヘラザードをモチーフにした組曲部分なんだろうが、
この部分の楽曲の組み立て方はもう間違い無くプログレ的と言えるし、
情報も無くこれを聴いたプログレ・ファンなら間違い無く目の色を変えるだろう。
以降リリカルなピアノの弾き語りの如きメロディアスな楽曲が続くが、
「太陽」と「月」と云う対象的なタイトルを持った10、11曲目は、
フルート?のイントロにジャジーなバッキングが喰い込んで来て、
スペーシーなKeyも絡む凄いアンサンブルが堪能出来るジャズ・ロックで、
多分ブラジルの民族楽器も加わりスペーシーでカオスな凄まじい展開を見せる。
女声スキャットがオケと絡むサントラの如き曲を経て終盤は更なるカオスへ。
弾き語りの歌物的な前半から再びピアノが先導するジャジーな展開へ、
Keyとフルートが加わって盛り上がった後、再び歌物へ還る展開の13曲目。
重厚なコーラスがブラジリアンっぽいメロディをリズミカルに歌い上げ、
スピーディなバッキングが曲を支え、テクニカルな応酬が実にジャズロック的で、
そこにストリングスやホーンが絡んでくる所が実にスリリングな14曲目で〆る。
確かにプログレ的な構築美と即興的なジャズ・ロックのブレンドが絶妙である。

とにかくこの人の作品は自らが思い描いた音を描く事に掛けて妥協が無い、
と云うより相当人材と金が掛かってるなぁ・・・と云う印象で、
実際に金の掛けられない僻地のプログレバンドに比べれば格段にリッチで、
欧米のメジャー所の作品と比べても遜色の無いサウンドなのが凄い。
いやまだまだ世の中には聴いた事の無い凄い音が溢れている物である・・・・

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