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2012.12.22

湯治

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               湯けむりの上がる強羅の街角

結局今年は散々な目に合ったお陰で紅葉も観に行けなかったから、
病気の方の療養も兼ねて湯治にでも行こうかと思い立った。
湯治といっても温泉と云う物は都心も含めて無数に有る訳だが、
選んだ先は近場の「箱根」の温泉にした。
理由は色々と格安で行ける所が有ったと云う感じである。

しかし思い出すだに箱根に出掛けるのは始めての事かもしれない。
いや、芦ノ湖とか関所跡とかは子供の頃連れて行かれた記憶は有るが、
所謂、箱根湯本から上の温泉エリアには行った記憶が無い。
まあ昔から箱根とか伊東とかは余りにもベタな観光温泉地だったし、
近過ぎて敢えて選択するほどの所じゃ無かったと云う感じだろうか。
そんなこんなでベタついでにロマンスカーに乗って箱根へと出掛けた。

二泊したのだが最初は強羅で泊まり次の日は箱根湯本で泊まった。
強羅の方はあの場所に多く有る所謂「保養所」と云う感じの宿で、
箱根湯本の方は団体客もバンバン来る大きな温泉ホテルである。
どちらも形式はホテルだが畳敷きの部屋に布団をひいて寝るシステムで、
晩飯に関してはどちらも部屋でとり、朝食は大広間と云うスタイル、
純和風の室内装飾と云い、改めて日本独自の文化だと妙に感心した。
(余談だがどちらも皿に肉類が殆どのっていないメニューで、
思い出したのが病院で食わされていた病院食のメニューだ。
温泉といいこのメニューなら確かに健康には良いだろう。)
箱根登山鉄道の各所で異国の皆さんの姿を多く見掛けたが、
こう云う和風ホテルのスタイルにもエキゾティズムを感じた事だろう。

しかし混んでいる時期を外して平日を選んでいたにも係らず、
湯本のホテルには引っ切り無しにバスが止まって団体客が降りてくる。
強羅の方は閑散としてたのに何でこの時期に客が多いのかと思ったら、
忘年会兼慰安旅行を兼ねた会社の団体さんなんだそうだ。
そんな使い方も有るのか!と全く知らない世間の話に感心した次第である。

せっかく温泉に出掛けたのだから宿泊中二回は温泉に浸かりに行ったが、
既に歴史を感じさせる古びたイイ感じの岩風呂風な強羅の温泉は、
人が少なく殆ど湯船を貸切状態で独占出来て非常に気持ちが良かった。
物凄く巨大な湯船の大浴場とスパ形式の露天風呂が有る湯本の方は、
泡風呂だのプラズマ湯だのジェット湯だの色んな温泉が楽しめたが、
入れ替わり立ち代り入ってくる若いリーマンの集団が、
隣で不景気極まりない話を延々としているのには中々に辟易した。
まあしかしやはり温泉の気持ち良さと云うのは全く持って格別である。
特にこの時期寒さによって萎縮した身体が湯に入った途端に解けて行く様な、
あの何とも言えぬ開放感は日本人に生れて良かったと感じる瞬間だ。

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             まだ紅葉も残る周りに何も無い湯本の景色

湯本の宿は駅からかなり離れていて周囲に同じ様な温泉宿しかない所だが、
館内の施設だけで宿泊客の娯楽の殆どを充足させ様と言う、
あの歪で和風なリゾート感覚と云うのも中々にたまらない物が有った。
何処へ行っても同じ浴衣と丹前を来た人間が館内のあちこちに居て、
土産物を漁ったりゲームをしたりしている風景は結構異次元な感じで、
こう云う風景に馴染みの無い人間には実に新鮮な体験だった。

しかし個人的に最もハマったのは強羅の鄙びた部屋での一泊だった。
部屋に運ばれた純和風の晩飯をいただいて、仲居さんが布団をひいたのち、
一風呂浴びた後に浴衣を着て畳に寝転んで茶を飲み一服する。
特に何もする事も無く駅で貰った無料のガイド冊子などをめくる。
外は静かで森閑と冷えているが温泉上がりの身体はまだまだ温かい。
立ち上る煙草の煙をぼんやりと眺めているとついつい言葉が漏れる。
「はあぁぁぁ・・・・・・・まったりするなぁ・・・・」
何と言うか心の底から落ち着くとでも言おうか、弛緩する感じがたまらない。
若い頃なら量の少ない淡白な飯に文句の一つでも付ける所だろうし、
テレビ見る位しかする事の無い環境に不平を洩らす所かもしれないが、
なんつうかこの温泉以外に何も無い感じが実に気持ち良い状態なのである。
温泉好きが秘湯の温泉宿などを求める気持ちはこの感じに近いんだろうか?
うぅぅむ・・・温泉畏るべし・・・うん・・・また行こう・・・

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2012.12.15

小沢昭一さん追悼

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確か中学生位の頃だったと思う。
親父の運転する車の助手席に座っていて何処かへ向かっていた。
それが行きだったのか帰りだったのかは良く覚えていないのだが、
長時間のドライブで弛緩した車中にまったりとTBSラジオが流れていた。
その内お馴染みな脳天気だが何処かうら寂しいテーマ曲と供に、
「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が始まった。
その日の話は空き地でキャッチボールをしている親子の話で、
子供が捕れなかったボールを草叢の奥に捜しに行っていると、
不意に「お父さん!蛇の抜け殻を発見したよ」との叫び声。
草叢から出て来て満面の笑みを浮かべる子供の手には、
使用済みのコンドームが握られていた、と云う話だった。
油断して放送を聴いていた自分は、そのオチでつい「ブッ」っと吹き出したが、
同時に何とも言えない顔をしている親父の顔を見て気まずくなった。
変な雰囲気が流れる車中に再び例のテーマ曲が白々と流れて行った。

その頃小沢昭一に抱いていたイメージと云うのは、
飄々とした佇まいの助平な面白いおっさん、と云う様な印象だったと思う。
テレビで常に見掛ける有名俳優と云う訳ではないが、
その独特なスタンスは子供心ながら何処か心に引っ掛かる存在感が有った。
そんな印象が変わったのが図書館の隅で所蔵のレコードを漁っている時に、
「日本の放浪芸」の巨大な箱を偶然見付けた時からだった。
当時、漫然と見世物や道の芸・街の芸に魅かれていた自分にとって、
それは正しく目から鱗の奇跡的な記録の集積だった。
その瞬間から小沢昭一は行動的なフィールドワーカーであり、
南方熊楠の如き実践的な碩学の徒として印象付けられた。
早速借りてきてテープに落とし飽かずに聴き続けて来た訳だが、
その「日本の放浪芸」も、図書館が所蔵していなかった続集も含めて、
2001年に四つのCD箱と成って目出度く再発される事となり、
それに合わせて放浪芸関係の著作も幾つか再発される様に成った。

以下「私のための芸能野史」が再発さえた時のここのブログ記事を引用すると、
『小沢昭一の「私のための芸能野史」が、ちくま文庫から再発された。
新潮文庫版を持っていたのだが、口絵写真の鮮明さについ買い直した。
道の芸、街の芸好きにはたまらない1冊でつい読み返したくなる名著だ。
勿論2001年に待望のCD化と相成ったCD7枚組の名作「日本の放浪芸」も、
最後のストリップ物を抜かして即購入しているので久々に聞き返してみる。
佐倉の歴史民族博物館に「覗きからくり」のレプリカが展示されていて、
テープの音声と供に電動でからくりが入れ替わると云う凄い代物なのだが、
この題目の「地獄極楽」の音声が気に入ってしまい何度も見ていたりした。
その元になったのが「日本の放浪芸」第一集の「説く芸と話す芸」に収録された、
大阪での「覗きからくり」興行の収録だと後になって知った。
近所の図書館にはLP箱が収蔵されていたので早速借りてきて膝を打った。
まあ今更自分が言葉を尽くしてもしょうがないが、本当に素晴らしい仕事である。
刻まれた街のノイズ一つにしろ愛があり、猥雑で、何処か懐かしい。』

それ以降も小沢昭一と供に日本中を旅して廻り放浪芸を記録し続けた、
ディレクター・市川捷護による「回想 日本の放浪芸」や、
「日本の放浪芸」の音源から、ナレーションや各芸能の実演、
芸人さんへのインタビューや対談を活字に起した、正に副読本と云うべき、
「日本の放浪芸・オリジナル版」も岩波現代文庫から再発されたが、
それでもまだ絶版に成っている放浪芸関係の著作も多い。
これを期に、と云うのは些か不謹慎な話だとは思うが、
小沢昭一の対象者への愛情を持った圧倒的な仕事量と貴重な資料を、
これから小沢昭一に出会う人々の為に掘り起こして欲しいと思う。
氏の役者としての素晴らしい業績には甚だ不案内な所は申し訳ないが、
行動的なフィールドワーカーとして、そして飄々とした助平なオッサンとして、
自分の中に強烈な印象を与えた小沢昭一氏をこんな風に追悼したい。

「また一つ唯一無二の道の芸・街の芸が消えて行く」

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2012.12.08

「現代台湾鬼譚 海を渡った学校の怪談」

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現代の台湾に興味が有る人のみならず、
所謂「都市伝説」や伝承して行く物語に興味の有る人間にも、
中々に見逃せない面白い一冊が刊行された。
それが「現代台湾鬼譚 海を渡った学校の怪談」である。

本書は「ツチノコの民俗学」等の著書の有る伊藤龍平氏と、
彼の教え子である台湾人の謝佳静氏の共著と云う形に成っているが、
元々は伊藤氏の勤務する南台科技大学の大学院生だった謝氏の修士論文、
「学校の怪談の台日比較」と云う論文に興味を覚え、
日本に紹介する為に共著と云う形を取って出された本だそうだ。
日本の文化やサブカルが凄まじい咀嚼度で根付いている台湾と云う国は、
当の日本人からしても興味深い文化を持った国なのだが、
無論ただ単に日本の文化やサブカルを流入させただけではない、
大陸の中華文化とも違う独自の民族意識や文化が存在する訳で、
その文化の混交具合がまた実に興味深く面白い訳である。

謝氏の論文を元にしたのは本書の二章分を占めるに過ぎないが、
2006年に高雄市の楠梓小学校に於いて当時の在校生、
3年から6年までの五百四十九人にアンケートを取った大規模な物で、
海外で学校単位で本格的な怪談調査が行われたのは初めての事らしい。
台湾でも公開されメジャーな話に成った日本の怪談映画、
「トイレの花子さん」をストレートに反映したトイレ怪談もあれば、
人気の無い教室で起こる怪異、夜中に動き出す銅像等々、
日本人なら誰でも一つは馴染みの有る様な怪談話に交じって、
台湾ならではの文化を反映した話も多く見られる所も面白い。
例えば日本統治時代から建っている楠梓小学校の、
地下室に現れる日本兵の幽霊と云う日本統治時代の影もそうだし、
台湾人の生活に深く根ざした道教や風水の観念もまたそうである。
その辺の事情を現地で生活している伊藤氏が解り易く解説している。

台湾と言えば道を歩いていれば大小に係らず様々な廟が存在し、
近代的な店舗で有っても祭事の時は店先で紙銭を燃やしたりする程、
生活に農暦の慣習と道教的な祭事が深く根付いているが、
例えば怪談話に於いて日本なら僧侶や神職が現れそうな場面でも、
「収驚」と云う道教的呪術者を医者に掛かる様に使ったりしているそうだ。
更には日本で云う所の「霊感を持っている・霊を見れる人間」、
に相当する存在や能力が「陰陽眼」と呼ばれていると云う話や、
道教用語で言う生年月日と出生時間によって定まる命式「八字」、
これが重いか軽いかで憑かれ易さが違うと云う話など興味深い。
こう云う深い話は中々取り上げている書籍なども無いだけに、
何処かで用語は眼にしていても内実は知らない事柄も多い訳で、
研究者である著者ならではの視点に感心する。

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             現代の中華式「こっくりさん」碟仙の風景

そう云う著者の台湾での聞き取りは日本統治時代を生きた古老から、
由緒正しい「こっくりさん」が行われていたと云う話を聞きだす。
無論こっくりさんは欧州で流行したウィジャー盤等が起源な訳で、
日本固有の物では無い訳だが「そんな物まで!」と驚かされる。
更には現在でも「碟仙」と云う降霊術遊戯が流行していて、
新聞に載る様な事件に成る等、社会問題化していると云う話など興味深い。
そして八十年代に海賊出版されていた藤子不二雄の「ドラえもん」や、
懐かしい子供向けの未知の生物や世界の不思議を扱った書籍が、
現代台湾のオカルト知識の萌芽に成った話等も感心する事頻りである。
それにしても日本軍人の霊を扱った章等で著者も触れているが、
本来なら日本軍人の霊よりも、多くの台湾人が無辜の罪で殺された、
二・二八事件やそれに続く白色テロの霊が現れてもおかしくない筈なのだが、
子供たちや学生の話の片鱗にもその事実が出て来ないと言う事に、
現代台湾のあの時代を扱う事の深みや暗さを感じてならない。

最後に台湾の代表的な幽霊譚としてお馴染みな「林投姐」の話を少々。
林投姐譚は日本の「四谷怪談」や「番町皿屋敷」等と同様に、
昔から形を変え語り継がれ現代でも知られる台湾の有名な幽霊譚である。
本書でも民族的な記憶に残る存在として語られているが、
ここのブログでも何度か取り上げている台湾が世界に誇るバンド「閃靈」の、
三枚目の作品が林投姐をモチーフとした「永劫輪廻」なのである。
最初に手に取った時は一体何を語っているのか解らなかったのだが、
後に色々調べて林投姐譚の話のアウトラインを知る事は出来たのだが、
本書にて更に詳しい内容や背景が知れたのが良かった。
近代台湾史をテーマに素晴らしいクオリティで世界に迫る現在と比べると、
未だローカルバンドの域を脱ない垢抜けなさが耳に付く所だが、
そこがドメスティックなブラックメタルの妙な味わいが有ったりして、
ローカル極まりないテーマと供に愛すべき作品に成っている。
ちなみに作品は02年に出ているが一度絶版に成っていて、
06年にパッケージを新たにした新装版が出て現在も流通している。
歌詞カードの裏に林投姐をモチーフにした幽玄な写真がふんだんに掲載され、
現在的にアップデートされた林投姐の姿を拝む事が出来る。

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            ChthoniC の三枚目「Relentless Recnrrence」

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2012.12.01

「町のわすれもの」で思い出した風景

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なぎら健壱の新刊「町の忘れもの」が面白い。
何時の間にやら忘れられていった、町の風景を飾っていた一部や、
所謂、昭和な物、習慣等を写真と供に取り上げた連載をまとめた一冊だ。
それぞれ章立てはしてあるが、懐かしい風物を細かく掬い取った一冊で、
或る程度の年齢の人間なら「あぁ有った有った」と小声を上げそうに成る。
それにしても相変わらずな著者の着眼点と行動力には頭が下がる。
一番最初に出て来る根津の貸本屋と牛乳屋の並んだ建物は、
余りにも近所で頻繁に前を通っていたせいか常にスルーしてしまっていて、
結局写真に収める事も出来ずに取り壊されてしまった物件だ。
この辺を幾度も通って写真を撮っていた著者の行動力には感服させられる。

さて本書を読んでいて自分もそんな写真を撮っていた事を思い出して、
その写真と供に自分なりの消え行く風景を少し語ってみたい。

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最初は「路上ロウ石画」である。
そもそも肝心なロウ石自体を売っている所が殆ど無いだろうと云う状態だが、
自分もこれを路上で見掛けた時には結構驚いた覚えが有る。
しかも画ではなくて懐かしい遊び「けんけんぱ」のパターン図である。
記憶の中ではもう少し洗練されたパターン図だった様な気もするが、
大人が今の子供にうろ覚えで教えてあげたと云う様な図式だろうか?
ちなみに子供の頃ロウ石は、公園の滑り台の滑りが悪い時などに、
滑り台に塗って滑りを良くした事が有るが、今考えると尻が汚れただろうな・・・

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お次は使用されなくてオブジェ化した「リヤカー」だ。
最初に見た時は一瞬それが何なのかさっぱり解らなかったのだが、
良く見た結果余りにも見事にオブジェ化しているので感心した一品だ。
オマケに蔦まで絡まっている所が実にオツと云うか何と言うか。
リヤカーに関しては昔の秋葉原の名残の様なダンボール回収所がまだ残っていて、
今でもあの辺でダンボール回収業者のリヤカーを見る事が出来るが、
昔の様にリヤカーが列を成していた風景は今ではもう見る事が無い。

Lost03

「雨戸と戸袋」は確かにそんな珍しい物ではないが、
確かに昔ながらの木とトタンで出来た雨戸などは結構珍しい物だろう。
とにかく古い雨戸は建付けのせいか開けるのも閉めるのも一苦労で、
閉めた後木製のかんぬきの様な物を入れたりしたのも懐かしい思い出だ。

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お次は「物干し台」。
これもそんなに珍しい物ではないが昔ながらの物干し台は消え行く物だろう。
こう云う木製の物干し台と云うと木製の足場に隙間が空いていて、
洗濯ばさみなどを落とすと非常に難儀した思い出が有る。

Lost05

次は「消える公共住宅」、所謂懐かしい団地である。
近年本当に団地がみるみると無くなって行っている。
確かに団地と言えば昨今高齢化住宅化しているという話は良く聞くし、
典型的な「昭和」の風景と云う感じだが余りにもその消失度は早い。
ふと気が付くと写真の様に入り口や窓にベニヤが打ち付けられていたりする。
同潤会アパートの様に歴史的な建造物とも言えないし、
余りにも数が多くて保存の気運も起きずらい事だろうと思うが、
喪失してしまってからでは遅過ぎるので是非一考を望む所だ。

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最後は「街の灯りが」である。
本書では電灯の灯りがスパイラル球に変えられた写真が載っていたが、
やはりこの電灯と言えば裸電球のあの仄かなうら寂しい灯りが似合う。
裸電灯の街灯に関しては以前ここでも書いているので読んで貰うとして、
スパイラル球に変わっていると云うのは何とも時代を感じさせる。

他にも「ハエ取り紙」だの和風便所に置かれていた四角いちりがみ、
確かに最近浅草寺以外でも方々で見掛けなくなった鳩の群れ、
「旗日」の由来でもある休日に日の丸の旗を掲げる家、
壁にボールをぶつけたキャッチボールの跡、押し売りお断りの看板等々、
非常に懐かしい気持にさせられる話が満載の一冊である、是非。

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